2025/06/13

とても悲しかった

今週の日曜日は、子供たちの運動会!

の予定でした…

 

しかし雨予報といことで、来週への延期が余儀なくされました。

 

新学期が始まりまもなく始まった運動会の練習。

 

子供たちが毎日へとへとになって帰ってくるのを見ていたし、話でも運動会のエピソードをよく話してくれていました。

 

下の子は1年生としての晴れ舞台。

自分は開幕の挨拶をすると張り切っていて

 

今年は全校生徒での農学舞踊もあったり

 

とにかく親の私もとても楽しみにしていたのです。

 

しかし、延期された来週は以前より決まっていた大きなイベントの依頼をいただいている日。

 

抜けることができないスケジュールがあり、私は運動会に行けません。

 

珍しく、悲しみという感情が強く出てきました。

 

感情は私(主)の許可なく溢れ出すもの

 

しかしここ最近、あまり悲しみという感情と触れ合っていたかったことに気が付き、こんなに辛いんだなぁと観察をしてみました。

あえてじっくり感じ、味わう。

 

すると涙が出るくらい胸が痛くて辛かったです。

 

ふと、最近は自分に起きていた感情に蓋をして過ごすことが増えていたかもしれない。

 

気付いて処理することと、起きているのに無かったことにするのは

雲泥の差ほどの違いがあります。

 

辛いことに蓋をしたり、無かったことにするのはうまい交わし方なのかもしれません。

しかしそこにはリアルがなく、教訓も、行けない上での最善策も何も生まれないんです。

 

行けないからこそ、私ができることを頑張ろう。

 

切り替えてからの私は、当日のお弁当は前日からたんと仕込んで張り切って早起きし、飛び切り子供達の好きものを詰めよう!

 

仕事の集客をもっと頑張って大成功させよう!

 

向き合った今は、具体的にできることが次から次へと浮かびます。

 

楽を知ってしまうと、その道ばかりを通りがちですが、たまに立ち止まってリアルを見ることで、充実の質が格段に上がる気がしたのでした。

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